「きゃー!迅矢くーん!」
スタジオの玄関を出れば、出待ちのファンたちの歓声が飛ぶ。
そういうのを黄色い声というのだろう。
迅矢はそんなことを呆然と考えながらその光景を見ていた。
仕事が終わって疲れたというのも然り、早く家に帰ってゆっくりしたいというのも然り。
この甲高い女の声は疲れが増す。
基本的には、こんなことはルール違反のはずだと、ろくに回らない頭が考える。
そんな中、一際しっかりした声で、その場を一喝する声が聞こえた。
「整列しなさい。」
その声の主は、この集団を纏めるトップ。
膝上の短いスカートに流行のジャケット。
それなりに化粧をして、アクセサリーも欠かさず着ける。
身形を整えた、そんな、今時の女の姿。
少し前までは黒髪だったはずの頭は、最近になり綺麗な栗色に変わった。
変わったというよりか、戻した、というのだろうか。
迅矢が初めて逢った時も、綺麗な栗色の髪をしていた。
だから、迅矢も最初は気付かなかった。
同じ学校だということも、あの金橋加弦だということも、初めて逢ったとき、最初は。
「かね。」
たった一言で整列する他の女たち。
頭を下げ、次の言葉を待っている。
そんな中、迅矢が呼んだ言葉は、他の女たちにどう聞こえただろう。
「お疲れ様でした。迅矢くん。」
頭を下げたまま、かねはそう口にした。
地声より一つか二つ高く上げた声。
迅矢くん。
迅矢はその声でそう言われる瞬間が嫌いだ。
何度も言っているのに、改めようとしない。
改める気がない、そんな呼び方。
今までに何度同じことを言ったか知れない。
この場所でも、他の場所でも。
「これ、ここにいる皆からです。今日はもう遅いので、これで失礼します。ゆっくり休んでください。」
そう言ったのは他でもない、かねで。
確かに時間は夜の九時半を過ぎている。
集団のルールとしては、夜の十時以降は追い掛けないという大前提がある。
この場を後にしたら、もう追いかけるような時間は残っていない。
「かね、来てたのか。」
「はい、迅矢くんのお仕事の日ですから。」
かねが迅矢の初めての仕事の日から、一度も欠かしたことはないことは、迅矢も充分解ってる。
でも、それは初めて逢ったときから今までがついていただけだとも思う。
今のこの状況を踏まえれば、かねがこの場に、迅矢の目の前に存在していることはおかしい。
そう思いながら、迅矢は用意されたタクシーに乗り込んだ。
「おやすみなさい。」
聞こえたかねの声。
その後に、揃った声で言葉を復唱する声が聞こえた。
タクシーに乗り込み、その場所を去ったすぐ、迅矢は携帯電話を取り出し、通話の発信ボタンを押した。
手に入れるのに随分時間が掛かった電話番号。
その番号に電話を掛ける。
コールだけが響き、五コール目でやっとコールが止んだ。
「はい、もしもし。」
聞こえてくる声に、通話の基本である挨拶もすっ飛ばして、文句を言う。
「…お前、なんで来たの。」
怒っているように聞こえていることは迅矢も分かっている。
いつもより、三割り増しで声が低い。
そんなことは、分かっているんだ、充分。
「なんでって、迅矢くんのお仕事の日はいつも行ってるじゃないですか。」
そんな低い声に物怖じせず、かねは先程と同じように話す。
迅矢の嫌いな喋り方で。
この状況でしか使わない、丁寧語で話すことに迅矢は苛立ちを覚える。
「その喋り方止めろ。〝オリキのトップ〟のお前に言ってるんじゃねぇんだよ。」
そう突き放すように言えば、電話口で少しの沈黙が流れた。
その少しを乗り越え、向こう側から声を振り絞るのが分かった。
「…じゃあ…、どうすればいいの…、秋吉くん。」
喋り方を非難すれば、トップの話し方ではなくなった。
だが、それは、プライベートの話し方になったわけではない。
その使い分けですら、今は迅矢に苛立ちを覚えさせる。
「その呼び方も止めろ。迅矢くん、秋吉くん、そう呼ぶ状況じゃねーだろ。」
いつも言ってるよな?
お前には、一つしか呼び方を与えてないはずだ。
そう付け足し、迅矢は更に続けた。
「迅矢って呼べよ。学校では秋吉くんって呼ばれるのを許してる。トップでいるときは迅矢くんって呼ばれるのを許してる。でも今は、プライベートだ。学校でも仕事でもない。個人の時間だ。迅矢って呼べ、加弦。」
迅矢は不本意ながら、学校でも妥協して、仕事のときも妥協している。
仕事が終わった今、プライベートの時間にそんな喋り方、そんな呼び方をされたくはない。
これは、今までに何度も言ってきたことで、何度も議論してきたことでもある。
それでも、毎回それらを無視する。
だから毎回、口を酸っぱくして言うしかないのだ。
そうでなければ、改善など見られない。
改善する気などないことも、知っているけれど。
だからこそ、迅矢はそのことを逆手に取った。
学校にいるときは金橋、仕事のときはかね、プライベートのときは加弦、そう呼ぶようにした。
使い分けるなら、使い分けてやる。
使い分けるから、使い分けてみろ。
「………じ、んや…。」
小さく、聞き逃すかもしれないというほど、小さく小さく、そう呟いた。
やっと、聞けた。
高く変えた声ではなく、いつもの地声で。
その声が聞きたくて、その声で、名前を呼ばれたくて、そう言ったけれど。
「で、なんで来たんだよ、加弦。」
「だって、トップが行かないわけには…。」
「ふざけんな。今日お前、熱あったろ。」
迅矢は今日、午前中は学校に行った。
仕事が午後からで、午前は行けたからだ。
行ったら、見れる。
行ったら、逢える。
だから、迅矢は時間の余裕があるときは、ちゃんと学校に行く。
勉強をしに行っているのか、と問われると、誤魔化すのが大変だけれど。
確かに今日、午前中は学校に行ったし、見れたし、逢えた。
だが、熱があるからと早退したことも確かなことだ。
そんな身体ではさすがに現れないと思っていた。
それでも、かねは、女の格好に化粧をして、あの場所に現れた。
姿を見た瞬間、頭に思い浮かんだのが、あの一言だったのだ。
口にするまでに時間が掛かったが、体調が悪いことは一目瞭然だった。
だからこそ、迅矢は心配になって電話を掛けた。
「下がったもん。」
「嘘吐くな。化粧で誤魔化したつもりかもしんねーけど、俺が分かんねぇわけねぇだろ。明日のテストどうするんだよ。」
「…大丈夫だし。」
「…そこにいろ。迎えに行くから。」
居るところは分かっている。
すぐ近くにあるコンビニだ。
行動範囲、趣向、時間帯、それらを考えたら、近くにあるコンビニしかない。
「いい、帰れる。折角送り出したのに、意味ないじゃん。」
意味ないなんて言わせない。
夜遅くに、熱がある身体でこんなところに出向いて、逢えて数分がいいところだ。
トップだということを踏まえても、長話するほどの時間はない。
だからとはいえ、無理をせずに学校で逢うという選択肢もある。
身体を痛めてまで、そんなことをして欲しくない。
声が聞きたいなら、電話する。
逢いたいなら、逢いに行く。
迅矢はそう言い続けているのに。
「…加弦。」
他に何を言っても無駄だ。
ただ、効力があるとすれば、好きだというこの声で、その名を呼ぶことだけ。
それを迅矢は知っている。
今までの経験上、これが一番効果的で、成功率が高い。
ただ、名前を呼ぶだけ。
この、声で。
好きだと言った、この声で。
たったそれだけでいい。
「………十分だけ、待ってる…。」
すると、消えそうなか細い声で、細く小さく呟いた。
恥ずかしくて、嬉しくて、申し訳なくて。
そんな感情が、今、あの身体の中を熱の熱さと共に駆け巡っているだろうと予測する。
そんな中、迅矢は思った。
勝った。
成功だ。
普段から負けず嫌いで、自分が弱っているところを見せたがらない。
だから、余計に今は嫌なのだろう。
だが、そんなこと構わない。
十分だけ待つというのならば、言い逃れが出来ないように十分以内に行ってみせる。
迅矢は必ず十分以内に着くからと電話を切り、タクシーの運転手に進路変更を告げた。
スタジオの玄関を出れば、出待ちのファンたちの歓声が飛ぶ。
そういうのを黄色い声というのだろう。
迅矢はそんなことを呆然と考えながらその光景を見ていた。
仕事が終わって疲れたというのも然り、早く家に帰ってゆっくりしたいというのも然り。
この甲高い女の声は疲れが増す。
基本的には、こんなことはルール違反のはずだと、ろくに回らない頭が考える。
そんな中、一際しっかりした声で、その場を一喝する声が聞こえた。
「整列しなさい。」
その声の主は、この集団を纏めるトップ。
膝上の短いスカートに流行のジャケット。
それなりに化粧をして、アクセサリーも欠かさず着ける。
身形を整えた、そんな、今時の女の姿。
少し前までは黒髪だったはずの頭は、最近になり綺麗な栗色に変わった。
変わったというよりか、戻した、というのだろうか。
迅矢が初めて逢った時も、綺麗な栗色の髪をしていた。
だから、迅矢も最初は気付かなかった。
同じ学校だということも、あの金橋加弦だということも、初めて逢ったとき、最初は。
「かね。」
たった一言で整列する他の女たち。
頭を下げ、次の言葉を待っている。
そんな中、迅矢が呼んだ言葉は、他の女たちにどう聞こえただろう。
「お疲れ様でした。迅矢くん。」
頭を下げたまま、かねはそう口にした。
地声より一つか二つ高く上げた声。
迅矢くん。
迅矢はその声でそう言われる瞬間が嫌いだ。
何度も言っているのに、改めようとしない。
改める気がない、そんな呼び方。
今までに何度同じことを言ったか知れない。
この場所でも、他の場所でも。
「これ、ここにいる皆からです。今日はもう遅いので、これで失礼します。ゆっくり休んでください。」
そう言ったのは他でもない、かねで。
確かに時間は夜の九時半を過ぎている。
集団のルールとしては、夜の十時以降は追い掛けないという大前提がある。
この場を後にしたら、もう追いかけるような時間は残っていない。
「かね、来てたのか。」
「はい、迅矢くんのお仕事の日ですから。」
かねが迅矢の初めての仕事の日から、一度も欠かしたことはないことは、迅矢も充分解ってる。
でも、それは初めて逢ったときから今までがついていただけだとも思う。
今のこの状況を踏まえれば、かねがこの場に、迅矢の目の前に存在していることはおかしい。
そう思いながら、迅矢は用意されたタクシーに乗り込んだ。
「おやすみなさい。」
聞こえたかねの声。
その後に、揃った声で言葉を復唱する声が聞こえた。
タクシーに乗り込み、その場所を去ったすぐ、迅矢は携帯電話を取り出し、通話の発信ボタンを押した。
手に入れるのに随分時間が掛かった電話番号。
その番号に電話を掛ける。
コールだけが響き、五コール目でやっとコールが止んだ。
「はい、もしもし。」
聞こえてくる声に、通話の基本である挨拶もすっ飛ばして、文句を言う。
「…お前、なんで来たの。」
怒っているように聞こえていることは迅矢も分かっている。
いつもより、三割り増しで声が低い。
そんなことは、分かっているんだ、充分。
「なんでって、迅矢くんのお仕事の日はいつも行ってるじゃないですか。」
そんな低い声に物怖じせず、かねは先程と同じように話す。
迅矢の嫌いな喋り方で。
この状況でしか使わない、丁寧語で話すことに迅矢は苛立ちを覚える。
「その喋り方止めろ。〝オリキのトップ〟のお前に言ってるんじゃねぇんだよ。」
そう突き放すように言えば、電話口で少しの沈黙が流れた。
その少しを乗り越え、向こう側から声を振り絞るのが分かった。
「…じゃあ…、どうすればいいの…、秋吉くん。」
喋り方を非難すれば、トップの話し方ではなくなった。
だが、それは、プライベートの話し方になったわけではない。
その使い分けですら、今は迅矢に苛立ちを覚えさせる。
「その呼び方も止めろ。迅矢くん、秋吉くん、そう呼ぶ状況じゃねーだろ。」
いつも言ってるよな?
お前には、一つしか呼び方を与えてないはずだ。
そう付け足し、迅矢は更に続けた。
「迅矢って呼べよ。学校では秋吉くんって呼ばれるのを許してる。トップでいるときは迅矢くんって呼ばれるのを許してる。でも今は、プライベートだ。学校でも仕事でもない。個人の時間だ。迅矢って呼べ、加弦。」
迅矢は不本意ながら、学校でも妥協して、仕事のときも妥協している。
仕事が終わった今、プライベートの時間にそんな喋り方、そんな呼び方をされたくはない。
これは、今までに何度も言ってきたことで、何度も議論してきたことでもある。
それでも、毎回それらを無視する。
だから毎回、口を酸っぱくして言うしかないのだ。
そうでなければ、改善など見られない。
改善する気などないことも、知っているけれど。
だからこそ、迅矢はそのことを逆手に取った。
学校にいるときは金橋、仕事のときはかね、プライベートのときは加弦、そう呼ぶようにした。
使い分けるなら、使い分けてやる。
使い分けるから、使い分けてみろ。
「………じ、んや…。」
小さく、聞き逃すかもしれないというほど、小さく小さく、そう呟いた。
やっと、聞けた。
高く変えた声ではなく、いつもの地声で。
その声が聞きたくて、その声で、名前を呼ばれたくて、そう言ったけれど。
「で、なんで来たんだよ、加弦。」
「だって、トップが行かないわけには…。」
「ふざけんな。今日お前、熱あったろ。」
迅矢は今日、午前中は学校に行った。
仕事が午後からで、午前は行けたからだ。
行ったら、見れる。
行ったら、逢える。
だから、迅矢は時間の余裕があるときは、ちゃんと学校に行く。
勉強をしに行っているのか、と問われると、誤魔化すのが大変だけれど。
確かに今日、午前中は学校に行ったし、見れたし、逢えた。
だが、熱があるからと早退したことも確かなことだ。
そんな身体ではさすがに現れないと思っていた。
それでも、かねは、女の格好に化粧をして、あの場所に現れた。
姿を見た瞬間、頭に思い浮かんだのが、あの一言だったのだ。
口にするまでに時間が掛かったが、体調が悪いことは一目瞭然だった。
だからこそ、迅矢は心配になって電話を掛けた。
「下がったもん。」
「嘘吐くな。化粧で誤魔化したつもりかもしんねーけど、俺が分かんねぇわけねぇだろ。明日のテストどうするんだよ。」
「…大丈夫だし。」
「…そこにいろ。迎えに行くから。」
居るところは分かっている。
すぐ近くにあるコンビニだ。
行動範囲、趣向、時間帯、それらを考えたら、近くにあるコンビニしかない。
「いい、帰れる。折角送り出したのに、意味ないじゃん。」
意味ないなんて言わせない。
夜遅くに、熱がある身体でこんなところに出向いて、逢えて数分がいいところだ。
トップだということを踏まえても、長話するほどの時間はない。
だからとはいえ、無理をせずに学校で逢うという選択肢もある。
身体を痛めてまで、そんなことをして欲しくない。
声が聞きたいなら、電話する。
逢いたいなら、逢いに行く。
迅矢はそう言い続けているのに。
「…加弦。」
他に何を言っても無駄だ。
ただ、効力があるとすれば、好きだというこの声で、その名を呼ぶことだけ。
それを迅矢は知っている。
今までの経験上、これが一番効果的で、成功率が高い。
ただ、名前を呼ぶだけ。
この、声で。
好きだと言った、この声で。
たったそれだけでいい。
「………十分だけ、待ってる…。」
すると、消えそうなか細い声で、細く小さく呟いた。
恥ずかしくて、嬉しくて、申し訳なくて。
そんな感情が、今、あの身体の中を熱の熱さと共に駆け巡っているだろうと予測する。
そんな中、迅矢は思った。
勝った。
成功だ。
普段から負けず嫌いで、自分が弱っているところを見せたがらない。
だから、余計に今は嫌なのだろう。
だが、そんなこと構わない。
十分だけ待つというのならば、言い逃れが出来ないように十分以内に行ってみせる。
迅矢は必ず十分以内に着くからと電話を切り、タクシーの運転手に進路変更を告げた。
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