くんくん。この独特な匂いは。
金木犀の、匂いがする。
高校を卒業した後、逃げるようにあの家を後にした。
高校までは面倒を見るが、大学は県外に行きなさい、と、前々から言われていた、父に。
それから、うさぎをやめて、この街へ来た。
誰も知っている人がいないこの街へ。
誰も知らない、この街へ。
秋だ。紛うことなき秋だ。
どこからか漂ってくる金木犀の匂いに、一年前の今頃を思い出す。
この香りがするということは、もう梨の旬は終わってしまったのかな、なんて。
大切な、ずっとずっと大事にしたい、俺の想い出。
あの頃の、うさぎの頃の、それでいて、ほんの少しだけ『雪風』になれる時間が好きだった。
彼の前では、ほんの一瞬でも『雪風』になれる時間があった。
でも、もう昔の話。もう過去の話。
それでも、大事に仕舞った、あのプレゼントをたまに出しては想い出に浸っている。
冬に思い残しはない。
それは本当で、本当に思い残しなんてないんだ。
大学から帰って来て、いつも通り、郵便受けを開けた。
家を出るとき、父はタワーマンションの一室を俺に与えようとしてくれたけど、断った。身の丈に合わない部屋は俺への贖罪か、否か。
一人でいるのが苦痛にならないくらいの狭い部屋でゆっくりとしたかった。
メールボックスのあるタワーマンションじゃなくて、昔ながらの郵便受けがあるこの部屋を住処にしたのが正解だったのか、今でも分からない。
郵便受けを開けた瞬間に何かが落ちたのが分かった。
よく見ると封筒だから、手紙だろうか。
父が一応の責任で手紙を送って来たとか。
離れて暮らす我が子を哀れんで。
いや、まさか。
床に落ちた封筒を持ち上げると、その手紙の違和感に気付いた。
差出人の名前がない。
宛名にはここの住所と『南野雪風 様』と書かれている。
だけど、これまたよく見ると、封筒には消印が押されていない。もっといえば、切手も貼られていない。
この手紙は郵便としてこの郵便受けに入ったわけではなく、誰かの手によって意図的にこの郵便受けに入れられたようだ。
『誰か』なんて、他人行儀だ。
でも、それが今の俺とこの『誰か』との距離だった。
見覚えのある字。
「…ひー…」
一言発したら、その続きは口の中へ消えた。
字のクセは一年やそこらでは変わらない。だから、筆跡鑑定なんてものが未だに効力を持っているのだろう。
封筒を開けて、中にあるはずの手紙を読むか、正直迷った。
このまま、開封せず、あの二つの贈り物と一緒に、仕舞い込んでしまおうか。
中に何が書いてあるかなんて、どうでもよかった。
中に書いてあることがどんなことでも、この手紙が今この場にあることの方が、何倍も心を揺さぶった。
会いたいとか、そんなことが書いてある可能は皆無だ。
急に居なくなって、と詰められるにはちょっと遅い。
内容がどうあれ、俺はこの手紙を大切に保管し、大事にすることは目に見えていた。
それでも、やっぱりこの手紙は読もう。返事は出来ないけど、ちゃんと読もう。
意を決して、封筒に手を掛けた。よくよく見ると、彼にしてはかわいい封筒だ。手紙を書くにもレターセットがなくて、友人のくまに貰ったのかもしれない。
封を閉じているのもお揃いのシールということは、中に入っている手紙も同じ柄なのだろう。
開けてみると、中に入っていた手紙も同じ柄をしていた。
そこにはたった一文しか書かれていなかった。
『梨を一緒に食べよう』
読んだ瞬間、涙が溢れそうになった。
去年の今頃、そう言われた。
来年は一緒に食べようって、言われた。
そんな日常の小さなこと、そんな、叶わないと仕舞い込んだ想い出。
たった一文しかないこの手紙が、この上なく愛おしくなった。
この手紙を届けるためなら、切手を貼って、ポストに入れればいいだけなのに。
涙が溢れそうなのを必死に我慢して、目を擦る。
他に普通の郵便がないかと郵便受けに手を入れると、何かが手に触れた。
不思議に思って見てみると、ビニール袋に入った果実。
果実というか。
「…な、し…」
郵便受けの中の梨と、手紙。
それでいて、手紙の文面。
「…一緒に、って………」
なにを、言っているんだ。
「…雪風」
聞こえたその声に、心臓の、跳ねる音が聞こえた。
『あんたは俺のうさぎがどこ行ったのかしってるんじゃねえの』
『いたのかもね。でもあんな嘘っぱちはもういないよ。やっと始めたんだ。だからうさぎはおしまい』
『あいつの喋り方はあんた譲りなんだな。うさぎが終わってもあいつはいるだろ。どこいった?』
『望まないよあの子は』
『そんなの、逢ってみなきゃわかんねーだろ!』
声が聞こえた方へ視線をやると、懐かしい姿に心臓が高鳴る。
「………ひー…た………」
ちゃんと、声が出なかった。
ちゃんと、声が出てくれなかった。
「最近は金木犀の香りがする頃でも食べ頃の梨があるらしくてな」
潤んだ目では彼の姿をよく見れなくて、いつの間にか触れられる距離にいた彼の手が頭の上に乗ったのが分かった。
「お前と一緒に食べようと思って」
そう言いながら、彼は頭を撫でてくれた。
こんなの、不意打ちすぎる。反則だ。
でも、この満たされたような気持ちは、この上ない感覚だった。
「入れ違いになるといけないから、入れといたんだけど、正解だったな。見て無くなってたら部屋に直接行こうとしてたんだけど、って、雪風?」
「…き、きいてる…きいてるよ、ひーたん…」
どうしても、心臓が、心が、落ち着いてくれない。
どうしても、落ち着いてくれない。
頭の上を撫でていた手が、今度は後ろの方へ行き、ちょっと押された。
おでこに触れる何かと、暖かさ。
「今日は一緒に寝よう」
泊まってくから。
そう言った彼は、今度はゆっくりと俺のことを抱きしめてくれた。
今まで、何度抱きついたか分からない。
今まで、何度寄り添ったか分からない。
今までのこと、全部、想い出にして生きていくと決めたのに。
うさぎはさみしがり屋だなんて、誰が言ったんだろう。
俺はもううさぎじゃないのに、この腕の暖かさの前では『さみしかった』と泣き喚いてしまいそうだ。
*----------*----------*----------*----------*----------*
これまた、ヤヒコさんのお宅の「うさぎコンビ」から。
どうやら、クリスマスを一か月前に控えたある日、「うさぎコンビがクリスマスにプレゼント交換する」というのをTwitterで発言したらしいのです。日頃からうさぎコンビのことばかり言いすぎて、言ったことを覚えてなかったんですけど。
それを見ていたヤヒコさんが「描いといたよ」とクリスマスプレゼントでくれたのです。
それがあんまりにも素晴らしかったので、一時間という限られた時間でこちらを書きました。
追加でお題を頂いたのに、全く生かせなかったので、そのお題はこの日の翌日分として年が明けてから提出することにしました。
数か月前に書いたものの続きのようなものですが、プレゼント交換の内容も少し入っています。
この話の一年前の雪風とひーたん。
金木犀の、匂いがする。
高校を卒業した後、逃げるようにあの家を後にした。
高校までは面倒を見るが、大学は県外に行きなさい、と、前々から言われていた、父に。
それから、うさぎをやめて、この街へ来た。
誰も知っている人がいないこの街へ。
誰も知らない、この街へ。
秋だ。紛うことなき秋だ。
どこからか漂ってくる金木犀の匂いに、一年前の今頃を思い出す。
この香りがするということは、もう梨の旬は終わってしまったのかな、なんて。
大切な、ずっとずっと大事にしたい、俺の想い出。
あの頃の、うさぎの頃の、それでいて、ほんの少しだけ『雪風』になれる時間が好きだった。
彼の前では、ほんの一瞬でも『雪風』になれる時間があった。
でも、もう昔の話。もう過去の話。
それでも、大事に仕舞った、あのプレゼントをたまに出しては想い出に浸っている。
冬に思い残しはない。
それは本当で、本当に思い残しなんてないんだ。
大学から帰って来て、いつも通り、郵便受けを開けた。
家を出るとき、父はタワーマンションの一室を俺に与えようとしてくれたけど、断った。身の丈に合わない部屋は俺への贖罪か、否か。
一人でいるのが苦痛にならないくらいの狭い部屋でゆっくりとしたかった。
メールボックスのあるタワーマンションじゃなくて、昔ながらの郵便受けがあるこの部屋を住処にしたのが正解だったのか、今でも分からない。
郵便受けを開けた瞬間に何かが落ちたのが分かった。
よく見ると封筒だから、手紙だろうか。
父が一応の責任で手紙を送って来たとか。
離れて暮らす我が子を哀れんで。
いや、まさか。
床に落ちた封筒を持ち上げると、その手紙の違和感に気付いた。
差出人の名前がない。
宛名にはここの住所と『南野雪風 様』と書かれている。
だけど、これまたよく見ると、封筒には消印が押されていない。もっといえば、切手も貼られていない。
この手紙は郵便としてこの郵便受けに入ったわけではなく、誰かの手によって意図的にこの郵便受けに入れられたようだ。
『誰か』なんて、他人行儀だ。
でも、それが今の俺とこの『誰か』との距離だった。
見覚えのある字。
「…ひー…」
一言発したら、その続きは口の中へ消えた。
字のクセは一年やそこらでは変わらない。だから、筆跡鑑定なんてものが未だに効力を持っているのだろう。
封筒を開けて、中にあるはずの手紙を読むか、正直迷った。
このまま、開封せず、あの二つの贈り物と一緒に、仕舞い込んでしまおうか。
中に何が書いてあるかなんて、どうでもよかった。
中に書いてあることがどんなことでも、この手紙が今この場にあることの方が、何倍も心を揺さぶった。
会いたいとか、そんなことが書いてある可能は皆無だ。
急に居なくなって、と詰められるにはちょっと遅い。
内容がどうあれ、俺はこの手紙を大切に保管し、大事にすることは目に見えていた。
それでも、やっぱりこの手紙は読もう。返事は出来ないけど、ちゃんと読もう。
意を決して、封筒に手を掛けた。よくよく見ると、彼にしてはかわいい封筒だ。手紙を書くにもレターセットがなくて、友人のくまに貰ったのかもしれない。
封を閉じているのもお揃いのシールということは、中に入っている手紙も同じ柄なのだろう。
開けてみると、中に入っていた手紙も同じ柄をしていた。
そこにはたった一文しか書かれていなかった。
『梨を一緒に食べよう』
読んだ瞬間、涙が溢れそうになった。
去年の今頃、そう言われた。
来年は一緒に食べようって、言われた。
そんな日常の小さなこと、そんな、叶わないと仕舞い込んだ想い出。
たった一文しかないこの手紙が、この上なく愛おしくなった。
この手紙を届けるためなら、切手を貼って、ポストに入れればいいだけなのに。
涙が溢れそうなのを必死に我慢して、目を擦る。
他に普通の郵便がないかと郵便受けに手を入れると、何かが手に触れた。
不思議に思って見てみると、ビニール袋に入った果実。
果実というか。
「…な、し…」
郵便受けの中の梨と、手紙。
それでいて、手紙の文面。
「…一緒に、って………」
なにを、言っているんだ。
「…雪風」
聞こえたその声に、心臓の、跳ねる音が聞こえた。
『あんたは俺のうさぎがどこ行ったのかしってるんじゃねえの』
『いたのかもね。でもあんな嘘っぱちはもういないよ。やっと始めたんだ。だからうさぎはおしまい』
『あいつの喋り方はあんた譲りなんだな。うさぎが終わってもあいつはいるだろ。どこいった?』
『望まないよあの子は』
『そんなの、逢ってみなきゃわかんねーだろ!』
声が聞こえた方へ視線をやると、懐かしい姿に心臓が高鳴る。
「………ひー…た………」
ちゃんと、声が出なかった。
ちゃんと、声が出てくれなかった。
「最近は金木犀の香りがする頃でも食べ頃の梨があるらしくてな」
潤んだ目では彼の姿をよく見れなくて、いつの間にか触れられる距離にいた彼の手が頭の上に乗ったのが分かった。
「お前と一緒に食べようと思って」
そう言いながら、彼は頭を撫でてくれた。
こんなの、不意打ちすぎる。反則だ。
でも、この満たされたような気持ちは、この上ない感覚だった。
「入れ違いになるといけないから、入れといたんだけど、正解だったな。見て無くなってたら部屋に直接行こうとしてたんだけど、って、雪風?」
「…き、きいてる…きいてるよ、ひーたん…」
どうしても、心臓が、心が、落ち着いてくれない。
どうしても、落ち着いてくれない。
頭の上を撫でていた手が、今度は後ろの方へ行き、ちょっと押された。
おでこに触れる何かと、暖かさ。
「今日は一緒に寝よう」
泊まってくから。
そう言った彼は、今度はゆっくりと俺のことを抱きしめてくれた。
今まで、何度抱きついたか分からない。
今まで、何度寄り添ったか分からない。
今までのこと、全部、想い出にして生きていくと決めたのに。
うさぎはさみしがり屋だなんて、誰が言ったんだろう。
俺はもううさぎじゃないのに、この腕の暖かさの前では『さみしかった』と泣き喚いてしまいそうだ。
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これまた、ヤヒコさんのお宅の「うさぎコンビ」から。
どうやら、クリスマスを一か月前に控えたある日、「うさぎコンビがクリスマスにプレゼント交換する」というのをTwitterで発言したらしいのです。日頃からうさぎコンビのことばかり言いすぎて、言ったことを覚えてなかったんですけど。
それを見ていたヤヒコさんが「描いといたよ」とクリスマスプレゼントでくれたのです。
それがあんまりにも素晴らしかったので、一時間という限られた時間でこちらを書きました。
追加でお題を頂いたのに、全く生かせなかったので、そのお題はこの日の翌日分として年が明けてから提出することにしました。
数か月前に書いたものの続きのようなものですが、プレゼント交換の内容も少し入っています。
この話の一年前の雪風とひーたん。
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