手術中。
そう点(とも)された部屋の前で、もう何時間待っているだろう。
確率は半分。
死ぬか、生きるか、どちらかしかないと。
そう聞かされたときは、目の前が真っ暗になった気がした。
でも、それでも、そう言いながら少し自嘲気味に笑う姿を見たら、何も言えなくなった。
この場にいるのは、加弦の両親と、俺だけ。
早く終わってくれ。
早く、加弦に会わせてくれ。
早く、一刻も早く―――。
目の前が、再び真っ暗になった。
一体、どういうこと。
なにが、なに。
え、なに言ってるの、ねぇ。
なんで、両親が泣き崩れてるの。
ねぇ、医師(せんせい)、何を、何を言ったの。
ねぇ、ねぇ、今、なんて、言った…?
『手術は成功しました。ですが、心肺停止になりました。』
目の前が、真っ暗に。
信じたくなくて、信じられなくて。
あんなに、笑っていたのに。
あんなに、楽しかったのに。
あんなに、好き合ったのに。
あんなに、愛し合ったのに。
そんな陳腐な言葉しか出て来なくて、どうしようもなくて。
死んだ?
もうこの世にいない?
もう、会えない?
もう、あの笑顔を見ることも、声を聞くこともできない?
…信じない。絶対に、信じない。
ふと気付くと、加弦の病室を訪れていた。
何も変わらない。
つい数時間前、加弦とここを出た。
加弦は笑っていたし、少しの間だけ、って言ってた。
なのに、なんで。
加弦の両親も、何も言えずに、言葉なくその病室にいて、時間が止まったかのようだった。
まるで、今にも加弦が、病室に入って来そうで。
『じんや!』
『さっきまで野球の中継やっててさ、』
『あ、雨降ってきたね。帰り大丈夫?』
『昨日ね、きゅうが来てくれたの。』
『何する?トランプでもしよっか?』
『じんや、だいすき。』
ほら、だって、ほら、ほら。
こんなにも、加弦の声が聞こえてくるっていうのに、なんで。
なんで今ここに、加弦がいない…?
「これ…。」
そう力のない声で話したのは母親だった。
加弦の、母親。
目線の先には、加弦の病室のテレビ。
そして、その横には見覚えのないビデオテープ。
表面のシールに、加弦の字で『両親と迅矢へ』と書いてあった。
三人で顔を見合わせて、そのビデオテープに慌てて駆け寄った。
手が震えながら、震えを抑えようと格闘しながら、そのテープをビデオデッキの中へと入れる。
どうしよう、手が言うことを聞いてくれない。
『ちゃんと撮れてる?』
再生すると、加弦の声が聞こえた。
あぁ、加弦の声がする。
加弦だ、加弦の声だ。
『ちゃんと撮れてるよ。』
そう答えたのは加弦の声ではなかったけれど、でも、聞き覚えのある声。
知っている声で、少し驚いた。
「…きゅう…。」
きゅうの声だ。
友人の中でも、親友と呼べるほどの友達。
そのきゅうと、加弦がどうして。
『母さんがおばーちゃんちの用事で来るの遅いし、迅矢は今から向かうって連絡あったからあと三十分くらいしたら来るかな。』
『それまでに撮り終われんの?』
『大丈夫、言うこと決めてあるし。あ、あとでこことか編集しといてね。俺、自分が喋ってるの見るの嫌だから、編集とか任せるよ。』
『はいはい。じゃ、迅矢が来る前に撮っちゃおっか。いくよ。さん、にー、いち、きゅー。』
その言葉と同時に、加弦がふわりと笑って、こっちを見た。
まっすぐな目で、まっすぐな瞳で、こっちを見てる。
『じゃ、まず両親へ。』
そう聞こえた瞬間、咄嗟にこの場に居てはいけないと感じた。
すぐにその場を離れようと動くと、加弦の母親に止められた。
「いいの、居て、加弦の言葉、聞いてあげて。」
両親へというから気を遣ったつもりだったが、加弦の言葉を聞いてほしいと言われた。
だから、そのままテレビの向こうの加弦に目線を向けた。
『これを見てるってことは、俺は手術中に死んで、今もうそこには居ないんだろうね。』
そう言いながら、少し悲しそうに笑った。
でも、すぐにまた笑い直して、唇を動かした。
加弦の両親への言葉は、とてもストレートで、素直で、愛らしくて。
生まれてきてよかった、産んでくれてありがとう、迷惑かけてごめん、でも感謝してる、だいすき。
そんな、子から親への、想いで溢れていて、それを聞いているだけで、涙が更に零れた。
どうしようもないほど、加弦の言葉に泣いた。
両親も泣いていて、部屋の中には三人の嗚咽と加弦のいつもと変わらない声だけ。
両親への言葉を締め括り、加弦は少し間を空けてから言った。
『…次は、迅矢へ。』
そう聞いた途端、加弦の父親が母親を支えながらその場を離れようとした。
だから、先ほどと同じように、俺も言葉を紡いだ。
「居てください。加弦の声、まだ続いてる。」
そういうと、何も言わずにまた元の位置に戻り、加弦に視線を向けた。
迅矢には、本当に感謝の言葉しかないよ。
でもね、わがまま言うと、約束、守りたかったな。
早く良くなって、迅矢と映画見に行ったり、ゲーセン行ったりしたかったし、野球もサッカーもしたかった。
でも、全部出来なかったね、ごめんね、約束したのに。
…あと、迅矢は俺が死んだら、泣いてくれるのかな…。
泣いてるよね、絶対泣いてる。迅矢は優しいし、すごく悲しんでくれてるんだろうね。
でも、ね、迅矢。悲しまないで。大丈夫だよ、俺。だからね、泣かないで。迅矢に涙は似合わないよ。
………ほんとは、デートもしたかったし、お泊りもしたかった。
…もっとキスもしたかったし、えっちだってしたかったよ。
最近ね、母さんが俺に恋してるのかって聞いてくるの。そんな顔してるのかな。
…恋、してるよ。間違いなく、迅矢に。
ずっと入院生活で恋なんてしたことなかったから、これが恋かなんて分からなかったし、今も分かってるかどうかなんて分からないけど。
でも、迅矢を好きな気持ち、これはきゅうへの思いや両親への思いとは違う。
俺は、これを、この迅矢への想いを、恋だと思ってる。
迅矢が俺を愛してくれてるように、俺も迅矢を愛してる。
そうじゃなきゃ、キスなんて出来ないし、えっちもしたいなんて思わないだろうし。
だいすきだよ、迅矢。
愛してる、心から。
………だからね、だから、俺が死んだら、前に進んでね。
前に進んで、また新しい恋して、結婚して、子供作って、幸せな家庭作ってね。
迅矢は子供好きだし、迅矢の子供ならかわいいだろうなー。
だから、だからっ…、俺のことはもう、忘れ、てっ………。
ふと、加弦の言葉が途切れた。
目の前の加弦は泣いていて、流れてくる涙を我慢しているようだった。
『………かね。』
『…やだ…。やだ、よぉー…。迅矢に、迅矢に忘れられたくない。迅矢に新しい恋なんて、してほしくない。』
『俺以外に、キスするのも、えっちするのも、好きとか愛してるって言うのも、全部やだ。』
『結婚なんてしないでほしい、子供なんて作らないでほしい。』
『だって、両方とも俺がしてあげられてないことなんだもん…。』
『もし、生きてても、両方とも、俺は迅矢にしてあげられない…!』
『かね。』
『分かってる、分かってるんだよ、ちゃんと分かってるの。』
『かね。』
『………ごめん、きゅう。…ごめん、ここ、編集しといて…、こんなの、迅矢に見せられないや…。』
『かね。』
『…きゅう…、俺、俺、迅矢がだいすき…。』
『迅矢と、離れたくない。死にたくもない。迅矢ともっと、一緒にいたい。』
『うん、かね、わかってる。わかってるよ。大丈夫だから。ね。…どうする?続き、撮る?』
『泣いちゃって上手く言葉に出来ない、ね。迅矢には一言じゃないとだめだね。』
『大丈夫?じゃ、いくよ?さん、にー、いち、きゅー。』
『迅矢、いままでありがとう、だいすき。心から、愛してる。』
『よし、これでいいや。きゅう、編集しといてね、さっきのとこ。じゃ、俺トイレ行ってくるから。』
『うん。じゃ、片づけとくよ。』
『………迅矢、俺は、かねに言われた通りに編集する気はない。全部、ありのままをお前に残すよ。だから、』
―――かねの全てを全身の全感覚に刻み付けろ。
「加弦。俺も、心から愛してる。お前だけを、愛してるよ。」
「金橋さん!」
悲しみに暮れた加弦の病室に、見覚えのある看護婦さんが来た。
勢いよく、走って来てくれたのだろう。
三人ともその人に視線を向け、その人の言葉を聞いた。
「加弦くんの身体に変化があり、再度医師の診察が行われ、奇跡が起こりました。心肺停止後から蘇生するケースは前例がないわけではありません。ですが、死亡が確認されてから息を吹き返し、自力で戻ってくること
は、奇跡です。加弦くんの執念と『生きたい』という意思が働いたのでしょう。極めて稀なケースですが、呼吸を始めています。しばらくすると意識も戻るでしょう。」
言われた言葉が、よく理解できなかった。
つまり、どういう。
「…もっと、もっと、分かり易く…。」
そう告げたのは他ならぬ、加弦の母親だった。
涙を止めて、ゆっくりと震える声で。
すると、看護婦さんは笑った。
「加弦くんは生きてますよ。」
その言葉に、三人同時に涙が溢れて来て、そして、抱きしめ合った。
加弦の命が救われたことに、心から感謝した。
「加弦!」
意識が戻った加弦の元に駆け寄り、加弦を見た。
まだいろいろなものがついているが、構わない。
酸素ボンベをつけたままの加弦は俺の方をしっかりと見た。
そして、呟く。
「…じ、んや…?」
加弦の声が聞けて、加弦の声に呼ばれて、こんなに神様に感謝したことが今までにあっただろうか。
自分の置かれた状況や、環境を嘆いたことなど一度もない。だからこそ、神様を恨んだことなんてなかった。寧ろ、命を取り留められたことを感謝していた。でも、それ以上に。自分の命を取り留めたこと以上に、加弦
の命を取り留めてくれたことを感謝した。
「加弦…。」
心なしか、声が震えてる。
どうしようもなく震えている。
今もまだ、これが現実なのか分からず、躊躇いと共に心臓を動かしている。
加弦の心臓も、ちゃんと動いてる。
それが、この上なく嬉しい。
今までの人生で、一番神様に感謝した瞬間だった。
「じんや、…だい、すき。」
加弦は酸素ボンベの向こう側から微笑みながらそう言った。
―――そのときの加弦の笑みは、儚げで今までで一番綺麗だった。
そう点(とも)された部屋の前で、もう何時間待っているだろう。
確率は半分。
死ぬか、生きるか、どちらかしかないと。
そう聞かされたときは、目の前が真っ暗になった気がした。
でも、それでも、そう言いながら少し自嘲気味に笑う姿を見たら、何も言えなくなった。
この場にいるのは、加弦の両親と、俺だけ。
早く終わってくれ。
早く、加弦に会わせてくれ。
早く、一刻も早く―――。
目の前が、再び真っ暗になった。
一体、どういうこと。
なにが、なに。
え、なに言ってるの、ねぇ。
なんで、両親が泣き崩れてるの。
ねぇ、医師(せんせい)、何を、何を言ったの。
ねぇ、ねぇ、今、なんて、言った…?
『手術は成功しました。ですが、心肺停止になりました。』
目の前が、真っ暗に。
信じたくなくて、信じられなくて。
あんなに、笑っていたのに。
あんなに、楽しかったのに。
あんなに、好き合ったのに。
あんなに、愛し合ったのに。
そんな陳腐な言葉しか出て来なくて、どうしようもなくて。
死んだ?
もうこの世にいない?
もう、会えない?
もう、あの笑顔を見ることも、声を聞くこともできない?
…信じない。絶対に、信じない。
ふと気付くと、加弦の病室を訪れていた。
何も変わらない。
つい数時間前、加弦とここを出た。
加弦は笑っていたし、少しの間だけ、って言ってた。
なのに、なんで。
加弦の両親も、何も言えずに、言葉なくその病室にいて、時間が止まったかのようだった。
まるで、今にも加弦が、病室に入って来そうで。
『じんや!』
『さっきまで野球の中継やっててさ、』
『あ、雨降ってきたね。帰り大丈夫?』
『昨日ね、きゅうが来てくれたの。』
『何する?トランプでもしよっか?』
『じんや、だいすき。』
ほら、だって、ほら、ほら。
こんなにも、加弦の声が聞こえてくるっていうのに、なんで。
なんで今ここに、加弦がいない…?
「これ…。」
そう力のない声で話したのは母親だった。
加弦の、母親。
目線の先には、加弦の病室のテレビ。
そして、その横には見覚えのないビデオテープ。
表面のシールに、加弦の字で『両親と迅矢へ』と書いてあった。
三人で顔を見合わせて、そのビデオテープに慌てて駆け寄った。
手が震えながら、震えを抑えようと格闘しながら、そのテープをビデオデッキの中へと入れる。
どうしよう、手が言うことを聞いてくれない。
『ちゃんと撮れてる?』
再生すると、加弦の声が聞こえた。
あぁ、加弦の声がする。
加弦だ、加弦の声だ。
『ちゃんと撮れてるよ。』
そう答えたのは加弦の声ではなかったけれど、でも、聞き覚えのある声。
知っている声で、少し驚いた。
「…きゅう…。」
きゅうの声だ。
友人の中でも、親友と呼べるほどの友達。
そのきゅうと、加弦がどうして。
『母さんがおばーちゃんちの用事で来るの遅いし、迅矢は今から向かうって連絡あったからあと三十分くらいしたら来るかな。』
『それまでに撮り終われんの?』
『大丈夫、言うこと決めてあるし。あ、あとでこことか編集しといてね。俺、自分が喋ってるの見るの嫌だから、編集とか任せるよ。』
『はいはい。じゃ、迅矢が来る前に撮っちゃおっか。いくよ。さん、にー、いち、きゅー。』
その言葉と同時に、加弦がふわりと笑って、こっちを見た。
まっすぐな目で、まっすぐな瞳で、こっちを見てる。
『じゃ、まず両親へ。』
そう聞こえた瞬間、咄嗟にこの場に居てはいけないと感じた。
すぐにその場を離れようと動くと、加弦の母親に止められた。
「いいの、居て、加弦の言葉、聞いてあげて。」
両親へというから気を遣ったつもりだったが、加弦の言葉を聞いてほしいと言われた。
だから、そのままテレビの向こうの加弦に目線を向けた。
『これを見てるってことは、俺は手術中に死んで、今もうそこには居ないんだろうね。』
そう言いながら、少し悲しそうに笑った。
でも、すぐにまた笑い直して、唇を動かした。
加弦の両親への言葉は、とてもストレートで、素直で、愛らしくて。
生まれてきてよかった、産んでくれてありがとう、迷惑かけてごめん、でも感謝してる、だいすき。
そんな、子から親への、想いで溢れていて、それを聞いているだけで、涙が更に零れた。
どうしようもないほど、加弦の言葉に泣いた。
両親も泣いていて、部屋の中には三人の嗚咽と加弦のいつもと変わらない声だけ。
両親への言葉を締め括り、加弦は少し間を空けてから言った。
『…次は、迅矢へ。』
そう聞いた途端、加弦の父親が母親を支えながらその場を離れようとした。
だから、先ほどと同じように、俺も言葉を紡いだ。
「居てください。加弦の声、まだ続いてる。」
そういうと、何も言わずにまた元の位置に戻り、加弦に視線を向けた。
迅矢には、本当に感謝の言葉しかないよ。
でもね、わがまま言うと、約束、守りたかったな。
早く良くなって、迅矢と映画見に行ったり、ゲーセン行ったりしたかったし、野球もサッカーもしたかった。
でも、全部出来なかったね、ごめんね、約束したのに。
…あと、迅矢は俺が死んだら、泣いてくれるのかな…。
泣いてるよね、絶対泣いてる。迅矢は優しいし、すごく悲しんでくれてるんだろうね。
でも、ね、迅矢。悲しまないで。大丈夫だよ、俺。だからね、泣かないで。迅矢に涙は似合わないよ。
………ほんとは、デートもしたかったし、お泊りもしたかった。
…もっとキスもしたかったし、えっちだってしたかったよ。
最近ね、母さんが俺に恋してるのかって聞いてくるの。そんな顔してるのかな。
…恋、してるよ。間違いなく、迅矢に。
ずっと入院生活で恋なんてしたことなかったから、これが恋かなんて分からなかったし、今も分かってるかどうかなんて分からないけど。
でも、迅矢を好きな気持ち、これはきゅうへの思いや両親への思いとは違う。
俺は、これを、この迅矢への想いを、恋だと思ってる。
迅矢が俺を愛してくれてるように、俺も迅矢を愛してる。
そうじゃなきゃ、キスなんて出来ないし、えっちもしたいなんて思わないだろうし。
だいすきだよ、迅矢。
愛してる、心から。
………だからね、だから、俺が死んだら、前に進んでね。
前に進んで、また新しい恋して、結婚して、子供作って、幸せな家庭作ってね。
迅矢は子供好きだし、迅矢の子供ならかわいいだろうなー。
だから、だからっ…、俺のことはもう、忘れ、てっ………。
ふと、加弦の言葉が途切れた。
目の前の加弦は泣いていて、流れてくる涙を我慢しているようだった。
『………かね。』
『…やだ…。やだ、よぉー…。迅矢に、迅矢に忘れられたくない。迅矢に新しい恋なんて、してほしくない。』
『俺以外に、キスするのも、えっちするのも、好きとか愛してるって言うのも、全部やだ。』
『結婚なんてしないでほしい、子供なんて作らないでほしい。』
『だって、両方とも俺がしてあげられてないことなんだもん…。』
『もし、生きてても、両方とも、俺は迅矢にしてあげられない…!』
『かね。』
『分かってる、分かってるんだよ、ちゃんと分かってるの。』
『かね。』
『………ごめん、きゅう。…ごめん、ここ、編集しといて…、こんなの、迅矢に見せられないや…。』
『かね。』
『…きゅう…、俺、俺、迅矢がだいすき…。』
『迅矢と、離れたくない。死にたくもない。迅矢ともっと、一緒にいたい。』
『うん、かね、わかってる。わかってるよ。大丈夫だから。ね。…どうする?続き、撮る?』
『泣いちゃって上手く言葉に出来ない、ね。迅矢には一言じゃないとだめだね。』
『大丈夫?じゃ、いくよ?さん、にー、いち、きゅー。』
『迅矢、いままでありがとう、だいすき。心から、愛してる。』
『よし、これでいいや。きゅう、編集しといてね、さっきのとこ。じゃ、俺トイレ行ってくるから。』
『うん。じゃ、片づけとくよ。』
『………迅矢、俺は、かねに言われた通りに編集する気はない。全部、ありのままをお前に残すよ。だから、』
―――かねの全てを全身の全感覚に刻み付けろ。
「加弦。俺も、心から愛してる。お前だけを、愛してるよ。」
「金橋さん!」
悲しみに暮れた加弦の病室に、見覚えのある看護婦さんが来た。
勢いよく、走って来てくれたのだろう。
三人ともその人に視線を向け、その人の言葉を聞いた。
「加弦くんの身体に変化があり、再度医師の診察が行われ、奇跡が起こりました。心肺停止後から蘇生するケースは前例がないわけではありません。ですが、死亡が確認されてから息を吹き返し、自力で戻ってくること
は、奇跡です。加弦くんの執念と『生きたい』という意思が働いたのでしょう。極めて稀なケースですが、呼吸を始めています。しばらくすると意識も戻るでしょう。」
言われた言葉が、よく理解できなかった。
つまり、どういう。
「…もっと、もっと、分かり易く…。」
そう告げたのは他ならぬ、加弦の母親だった。
涙を止めて、ゆっくりと震える声で。
すると、看護婦さんは笑った。
「加弦くんは生きてますよ。」
その言葉に、三人同時に涙が溢れて来て、そして、抱きしめ合った。
加弦の命が救われたことに、心から感謝した。
「加弦!」
意識が戻った加弦の元に駆け寄り、加弦を見た。
まだいろいろなものがついているが、構わない。
酸素ボンベをつけたままの加弦は俺の方をしっかりと見た。
そして、呟く。
「…じ、んや…?」
加弦の声が聞けて、加弦の声に呼ばれて、こんなに神様に感謝したことが今までにあっただろうか。
自分の置かれた状況や、環境を嘆いたことなど一度もない。だからこそ、神様を恨んだことなんてなかった。寧ろ、命を取り留められたことを感謝していた。でも、それ以上に。自分の命を取り留めたこと以上に、加弦
の命を取り留めてくれたことを感謝した。
「加弦…。」
心なしか、声が震えてる。
どうしようもなく震えている。
今もまだ、これが現実なのか分からず、躊躇いと共に心臓を動かしている。
加弦の心臓も、ちゃんと動いてる。
それが、この上なく嬉しい。
今までの人生で、一番神様に感謝した瞬間だった。
「じんや、…だい、すき。」
加弦は酸素ボンベの向こう側から微笑みながらそう言った。
―――そのときの加弦の笑みは、儚げで今までで一番綺麗だった。
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