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2026/04/05 00:48 |
赤と黒の蝶  其の肆 対面
「あのときのあいつの眼を見て改めて確信した。こいつは大物になる、ってな。」
紫蓮の並々ならぬ貫禄や存在感、知性に聡明さ。同じ年頃の者より遥かに秀でているこれらのものを昔から持っている。磨けばもっと光を増すだろうこれらを、磨くものをも紫蓮は持っている。紫蓮が本気になれば、その力は計り知れない。
「それより、」
来夏は紫蓮との話を切り上げ、自らの目的を果たすための話に入った。その言葉に反応して飛乃が先を言う。
「探し物のこと?」
来夏の探し物。
来夏は昔から何かを探している。その探し物が何であるかということさえも、判らないのにずっと探しているのだ。四年前、来夏が紫蓮に拘っていたのは探し物をするために有利な立場にいることが出来るからだろう。一体何なのか、正体不明の来夏の探し物の名。
「〝ai61号ファイル〟。」
来夏がそう呼ぶだけで、これが正式名称かは判らない。だが、来夏が探しているものであることは確かだ。来夏はこの探しているものを見つけるために大滝や浅草寺、そして南条までもコネにしようとしているのだから。
その名称が出ただけで、来夏が反応を表す。飛乃はその後、口元にあった手の人差し指を立てた。そして嘲笑うように言う。
「それなりの物をもらうわ。」
「――――――!!」
この瞬間、来夏の顔色が変わった。飛乃が調べたことの中に、新しく分かったことがあるのだろう。来夏はその事実に食らい付く。
「何か分かったのか?」
即座にそう言葉を放ち、先を急がせる。新しいことが分かったならば、早くその情報を得たい。来夏が急かすように言っても飛乃は核心を話そうとはしない。
「えぇ。」
淡々と相槌を打つことはあっても、先には進まない。来夏はすぐにそのことを察し、腕を組みながら飛乃が望んでいる言葉を出した。
「望みは何だ。」
Give and take. No paine, no gain.
一方的に何かを得ることは出来ない。来夏はその情報に見合う何か、見返りを飛乃に与えなくてはならない。そのために見返りに何を求めるか問う。すると飛乃は一度眼を閉じ、再度開いた。そして呼吸を整えて毅然とした態度で来夏を見る。
「望みは―――、」
飛乃の唇がゆっくりと動く。赤く潤った唇で言葉を一つ一つ正しく出す。
「縁(えにし)よ。」
〝縁(えにし)〟…。つまりは縁(えん)や縁(ゆかり)のこと。
来夏の持つ企業レベルの情報網や機関との繋がり。
飛乃の言いたいことを正しくしっかりと理解した来夏は飛乃の発言から少し間を置いて結論を出した。
「…いいだろう。必要なときに言え。」
これで情報が手に入るならば安いものだという判断基準。
来夏にとって、それほど大事なもの。それほど手に入れたいもの。
「だが、何の為に使う。お前には必要ないものじゃないのか。」
縁など不要に思える程の、権力と資金繰りを持っているのに、縁を必要とする理由が分からない。何か求めているのなら、今持っているものを駆使すれば充分足りるはず。来夏がそう言いたがるのも無理はない。来夏と同等の後ろ盾が有るにも関わらず、その幅を広げるための取引を交わす。飛乃がその繋がりを求めているのは、飛乃にも何かしらの理由があるからだ。
「あなたに〝探し物〟があるように、私にも〝探し物〟があるのよ。そのために使わせてもらうわ。」
手に持っている扇子を持て余して弄ぶ。少し体制を変えるだけで足元の砂利が音を立てる。来夏にとって、飛乃の発言は初耳だったが、それは大した問題ではない。自らの目的に支障をきたさなければ、何処で何が起こっていようと関係ないのだ。
少しの沈黙を置いて、来夏は少しの溜め息を交えて答える。
「まぁ、いい。詳細は聞くものではないからな。」
それと同時に眼を閉じて頭の中で何かを模索する。
「…それにしても…〝赤と黒の蝶〟か。皮肉なものだ。」
眼を開けてからふと来夏の口から出てきた言葉はそれだった。意味があって言ったことであるかは分からない。自然と口から言葉が飛び出した。その発言に飛乃が反応し、耳を傾ける。そしてその発言の意味を問う。
「何か知っているの?蝶について。」
深い意味はなかったのだろう。ただ、何かを知っているのかと聞いただけだ。すると来夏は深く息を吸い、何かを言う準備をした。そしてわざと違う回答をする。
「イタリア語で蝶は〝farfalla〟フランス語では〝papillon〟。」
予想外の回答で飛乃は思わず放たれた言葉を復唱する。
「ファルファッラ?パピヨン…?」
来夏は飛乃の疑問符を他所にそのまま続ける。
「………スペイン語で蝶は〝mariposa〟で、ポルトガル語なら〝porboleta〟。ドイツ語ならば〝schmetterling〟と称されるがこれは蝶と蛾の区別をつけないもので、敢えて区別をつけるなら〝tagfalter〟だ。」
「翠月。」
一段落置いてから、来夏を表す別の呼称で来夏を制止した。別名を呼ばれても来夏は動じない。普段から〝花山来夏〟と呼ばれるより〝翠月〟と呼ばれる方が呼ばれ慣れているからだ。そして、飛乃が自分を制止した理由も分かっている。
「そんなことを聞いているんじゃないのは判っているはずよ。」
飛乃は怒っている訳ではないが、多少の苛つきは感じているようだ。声がいつも以上に鋭さを増している。飛乃の態度に来夏は一息の溜め息を吐く。そして重い口を開いた。
「…調べれば分かることだ。ただ、血は争えないとはこのことを言うのだろうな。」
〝調べれば分かること〟は来夏が誰かを使って調べさせたということ。花山来夏という男は自分で調べ事をするような男ではない。誰かに命じて調べさせたのだろう。それくらいの人員と権威を持っているのがこの男。
「井の中の蛙大海を知らず。されど空の深さを知る。」
来夏は何を思ったのか、脈絡のないことを口にする。発したのは故事で、一般にはあまり普及していない続きまで発せられている。
そして、その故事は昔、来夏がある男に言われたものだった。蝶とも紫蓮とも莎子とも関係のない、来夏個人のことだが、この故事が記憶の隅に残っていた。

『井蛙不可以語於海者。而知空深。』
『俺はずっと井の中にいた蛙だった。その分空の深さは知ったが、やっぱり井の中から出たいことに変わりはない。』
『俺は、お前とは違うからな。』
『お前もそう思うだろう?翠月。』

その男は来夏を別名の〝翠月〟と呼んでいた。それは〝花山来夏〟という呼称を知らなかったからだ。
来夏の中に、当時の記憶が鮮明に蘇る。
そして、その故事を聞いた日から長い月日が流れたが、その日を境に一度も逢っていない。
「昔、ある男が俺に言った故事だ。あれは十三ときだから、もう彼此四年になるか。もう何処に行ったのか分からないがな。」
当時を振り返るように懐かしながら空を見上げると、目の前にいる飛乃が溜め息混じりに毒つく。
「また四年前…。それに調べる気がないだけで、調べようと思えば簡単に現在の所在は掴めるんでしょ。」
確かに来夏にとっては、その男のことを調べて現在の所在を知ることなど造作もないことだ。命じれば小一時間で現在の所在地が分かるだろう。来夏もそのこと自体を否定はしない。だが、それをしないのはそれ相応の正当な理由があるからだ。来夏は空を見上げていた眼を飛乃に戻した。
「あぁ。だが、調べはしない。それが〝約束〟だからな。」
〝約束〟だから、調べることはしない、と結論付けた来夏の言葉に飛乃は驚きを表した。そして、多少嫌味の意味を込めて来夏に冷たい視線を向けながら冷たく言い放つ。
「約束を守るという概念があなたにあったの。」
飛乃の予想以上の冷たい言葉に一瞬来夏が怯む。だが、一瞬の怯みを即座に修正し、微笑で気丈に返した。
「それくらいあるさ。」
淡々と答えると、飛乃の鋭い眼が来夏を刺した。飛乃には別の言い分があるらしく、何か言いたげだ。そして口を開く。
「私と逢うときは〝約束〟じゃなくて〝強制〟じゃない。否定はさせないわ。」
それを聞いた来夏は眼を丸くし、飛乃を見る。そして、ふと微笑を表した。飛乃が言った通り否定はしないが、否定の代わりに出て来たのは故事ではない別の物。
「かくとだに、えやはいぶきの、さしも草、さしも知らじな、燃ゆる思ひを。」
来夏が述べたのは小倉百人一首のひとつで藤原実方朝臣の詠んだ五十一番の首だ。
それを一通り言い終わると、飛乃を睨むように見た。すると、その視線に気付いた飛乃は頭の中を彷徨(ほうこう)する。そして思い当たるものを瞬時に見つけ出し、長文を口から出した。
「こんなにも恋募っているといいたくても、口に出すことが出来ません。この燃えるような私の想いをあなたはきっとご存知ないでしょう。」
飛乃が発した長文はこの句の解かりやすく簡潔にされた意味だ。飛乃の頭の中にはこの類のことが数億単位で収められている。百人一首の一首の意味を述べることも大した手間ではない。
来夏に誘導されたように意味を放った飛乃はそのまま来夏に問う。
「…何が言いたいの。」
自分に意味を言うように誘導して、意味を言わせて何の意味があるのか。そう言いたげな飛乃の問いを来夏は何事もないように淡々と流す。だが、その来夏の顔は心なしか、悲しげに見える。来夏はその顔を刹那に止め、表情を戻した。恐らく、そのこと自体、飛乃は気付いていないだろう。
「別に。ただ、お前は全然変わらないな。」
来夏が溜め息を吐くように言うと、飛乃は眉をつり上げた。艶やかな姿を変化させることなく、美しながら来夏を睨み付ける。
「それはお互い様でしょ。あなたは私以上に変わっていないわ。」
来夏は飛乃を通してどこか遠くを見ている。そして何を思ったのか、飛乃の発言にあっさりと理解を示す。
「それもそうか。………さて、行くか。」
話が落ち着くと来夏は身を翻し、路地から別の場所へ移動するように促した。飛乃もその言葉に反応し、ある問いかけをする。
「大滝ホテルへ?」
大滝ホテルは三大財閥のうちの一つ、大滝財閥の経営するホテルで超一流の者が宿泊するという超一流ホテル。
来夏と飛乃が二人で逢ったときは必ず足を運ぶ場所でもある。そのため飛乃は行く場所が分かっているにも関わらず確認を行なった。すると来夏は当然というような態度で傲って見せた。
「あぁ、いつもの部屋を使う。」
来夏が大滝ホテルでいつも使ういつもの部屋とは超一流特製の特別室。
勿論、来夏が前もって予約をしているとも思えない。それほどの部屋を今から押さえることなど出来るのだろうか。
「…今から空いているか聞くの?」
飛乃が聞いてみると、来夏は少し自慢気に確信を持っている。空いているということが分かるのか、思い込んでいるのか、その辺の詳しいことは分からないが、来夏は自信満々だ。
「空いてるさ。いや、常に空けさせてある。」
「…大滝星流に?」
大滝ホテルの責任者は大滝財閥代表総取締役である大滝星流だ。逆に言うと、大滝星流を使えばホテルの一室を常に空けさせておくことなど、造作もない。そして、大滝星流に連絡を取ることが、来夏には出来る。
「―――あぁ。」
上を見上げると、そこには青く綺麗な空がある。

「なんだったんだ。さっきの…。」
思わず溢れた言葉には紫蓮の本意が現れていた。
紫蓮は南条の直系とはいえ、南条の会社には一切干渉していない。今の経営者でいいと考え、交流もあまり持たない。そのため、暁と面と向かって直接話すのは初めてだったりする。
同じ学校だといっても、紫蓮は祝以外の者とは極力話さない。交流も持たないので、学校で暁と話すこともない。建前の挨拶はあっても中身のある話をしたことはなかった。今回の話も紫蓮にとっては中身のある話とは言えないが。
紫蓮が自宅に着くと、既にいつもの帰宅時間より遅く、多少のズレが生じている。門を開け、そのまま玄関の扉も開けた。
「ただいま。」
「おかえりなさいませ。」
紫蓮が帰宅の挨拶をすると、待ち構えていた千代がすぐさまその返事を返す。そして、祝が紫蓮の自室にいると伝え、それを知った紫蓮が階段を上るところを見送った。紫蓮は階段を上りきり、自室の扉を開け、部屋の中を見た。そして、部屋の隅に置かれた机の前に座り、本を読む祝を確認すると、ふと祝を呼んだ。
「河村。」
「んー…?」
祝は読んでいる本から眼を離すことなく、扉を開けた紫蓮の言葉に生返事をし、話の続きを促す。だが、紫蓮はその生返事から少しの間を置き、答えを出した。
「…いや、いい。」
「なんだよ。」
途中で話を止めた紫蓮に対し、祝はさらに話を促した。だが、紫蓮は答えることなく、祝から眼を逸らす。
「…別に。」
淡々と返事を返し、鞄を机の横に置き、制服を着替えることなく部屋の隅に置かれたベッドに寝転んだ。すると、祝は今までいた紫蓮の机から離れる。そしてベッドに寝転んでいる紫蓮の上に覆い被さり、膝を支えにし、手を紫蓮の両首横に付く。紫蓮と祝の二人が乗ったため、ベッドは紫蓮一人のときよりも少し深く沈んだ。紫蓮を逃がさないように手足を付いた祝は明らかに確信犯だ。紫蓮の自由を奪うと、紫蓮の眼を見て小さくもはっきりとした声で呟いた。
「…紫蓮。」
名を呼ばれたことについては特に何も感じなかった。紫蓮が祝に名を呼ばれるなんていつものことで、特別なことではない。
祝は真剣な眼差しをして紫蓮を見つめる。そして、重い口を開いた。
「俺さ、ここらじゃ結構、情報屋として名が知れてるけど、お前の情報をネタにするつもりはこれっぽっちもないぜ?」
祝は紫蓮のことを一番に考え、紫蓮を特別に想っている。そんなことは紫蓮だって充分分かっている。紫蓮は、祝の言葉から少し間を置いて答えた。
「………知ってる。」
そんなこと、分かっている。言ってしまえれば楽だけど、迷惑はかけたくない。
「俺はお前を信用してるし、信じてるよ。誰よりも。」
祝の眼を見て言った言葉はいつも以上に強かった。
「…そう。お前の意思がそこまで固いとは思わなかった。」
祝はそれだけ言うと、紫蓮の上から退いた。そして紫蓮から視線を外し、俯く。
「俺の負けだ。本当にこれ以上はもう詮索しねーよ。」
祝はいつも通り、普通に言ったつもりだろうが、明らかに様子が違う。それは紫蓮も分かる。紫蓮は祝に隠し事をすることなど滅多にない。だからそこ、今回のことはお互いにとっても痛く、辛いことだ。紫蓮はベッドから起き上がると俯き、祝と視線を合わせないようにし、小さい声を出した。
「…河村。俺、」
「―――紫蓮。」
話し始めた紫蓮を、名を呼ぶことで制止する。そして祝は、今までより少し強い口調で言い放った。
「俺はお前の情報を売る気はない。でも、お前の安全が脅かされるようなことがあれば、他の奴の情報はすぐにでも投げ渡すからな。」
俯いた顔を上げて振り返る。紫蓮の顔をしっかりと見た。
「それが俺だ。」
紫蓮の身に危険が及ぶようなことがあれば、他の奴の情報くらい簡単に売れる。
紫蓮は、自分を見つめる祝に応えるかのようにしっかりと祝を見た。そしてしばらくしてから返事をする。
「………分かってるよ。」
それを見た祝は、何も言わず前髪をかき上げた。そして深い溜め息を吐く。
紫蓮は一度決めたことは覆さない。それが大事なことであればあるほど、覆さない。そんなことは端から承知のはず。改めて思い出し、自分自身に言い聞かせ、再度溜め息を吐いた。
「…ならいい。」
無造作置かれていた自分の鞄を後ろ手に持ち、紫蓮に背を向けた。
「今日はもう帰るよ。」
首だけを後ろへ向け、紫蓮に別れの挨拶をする。そして早々に身支度を始めた。
それを聞いた紫蓮はこの上なく小さな声で呟く。
「………やっていかないのか。」
祝が来ると八割の確率で行なっていることをせず、早々に帰ろうとする言葉に思わず紫蓮の口から本音が溢れた。その言葉や紫蓮の意思に従いたかったが、祝は気持ちを押し殺した。そしてゆっくりと再度振り返り、紫蓮に精一杯の作り笑顔を見せる。
「…また今度な。」
身支度を終えた祝は作り笑顔を見せてからすぐに部屋から出て行き、千代に軽く挨拶をすると南条邸からも早々に出て行った。
部屋には部屋の主である紫蓮が一人。
祝が吐いた二つの溜め息より遥かに大きく深い溜め息を吐いた。

無造作にジーンズのポケットから携帯電話を取り出した来夏は徐(おもむろ)にどこかへ電話を掛け始めた。
『…はい。』
相手が電話に出たらしく、若い男の声がした。声の主は来夏と同年代ほど。比較的若い。
「―――大滝星流、今から行く。いつもの部屋だ。」
来夏は相手を〝大滝星流〟と呼んだ。
この電話の主こそ、先程から頻繁に話に出てくる、大滝財閥代表総取締役社長の大滝星流本人である。
『今から?また急だな。』
来夏は予約もなしに、今から行くとの一言で大滝財閥経営の大滝ホテルに行こうとしている。来夏が星流に自ら電話を掛けるときは大体がそうだ。今回も例外ではない。一流企業の大滝財閥の経営ホテルは高額であると評判だ。そんなホテルの一室を、来夏は星流に連絡することで利用出来る。逆に言えば、利用出来るようにさせている。
「用意出来ないのか?」
来夏の問いかけに星流は間を空けず、社長らしく冷静に対応する。
『十分待て。すぐに用意させる。』
毎日清掃を行い、常に使える状態にはなっているものの、客が入る直前にしか出来ない準備というものはある。その作業に要する時間を星流は十分と提案した。
「丁度いい。今から向かう。」
来夏も星流のその提案に乗る。来夏と飛乃がいるこの場所から大滝ホテルまでは車で三十分程掛かる。十分で用意が出来るならば来夏たちが待たされることはない。来夏が最後に言葉を纏めようとしたとき、星流が予想外のことを口にした。
『………また、あの女か。』
来夏は星流に〝また〟と言われたことが少し癪に触ったが、事実〝また〟なので何も言い返すことが出来ない。そのため来夏は半分流すように相槌を打つ。
「まぁな。」
星流にはその相槌ですら、来夏が〝あの女〟に溺れているように感じた。お前が溺れる程良い女なのか。と、思わず言ってしまいそうな程。
敢えてそれを言わなかったのは、妙なことを口走り、自分の身を危険に曝したくはないからだ。一流企業の代表総取締役が恐れる程、来夏の影響力は多大なものだと言える。
『お前はあの女しか連れて来ないからな。』
来夏は大滝ホテルに飛乃以外の女と行ったことはない。飛乃以外の女とホテルに行くこと自体ない。それは、来夏の判断基準によるものだ。来夏は電話越しに星流に向かい、嘲笑うかのような微笑を送る。
「俺が唯一認めた女だからな。」
その微笑は誇らしくあり、自分が認めた女を高く評価するものだった。
星流は来夏の認めた女が何かしら秀でたものを持っていることが分かっている。そうでなければ、あの〝花山来夏〟が誰かを認めないことも知っている。星流に例えるなら、多額の資産と経営会社。そして、経営者としての資質。
来夏は利用価値のあるものにしか興味はない。来夏が〝唯一〟認めた女はそれに相応しいものを持っているのだろう。それでなければ、本当に来夏が溺れているのか。
何にせよ、星流は〝花山来夏〟には逆らわない方が賢明だということをよく理解している。星流は電話越しに小さな溜め息を吐き、話の纏めに入った。
『…お前の邪魔はしないさ。じゃ、待ってるよ。』
「あぁ。」
用件が済むと、星流はすぐさま乱暴に電話を切った。それを確認した来夏も携帯電話をジーンズのポケットに入れる。通話が終了したことに気付いた飛乃は来夏に問う。
「空いてるって?」
少々不安げな飛乃とは違い、来夏は再び嘲笑うかのような怪しげな笑みで答える。
「空いてない訳ないさ。」
そう言い、来夏は路地から出た。その後を飛乃がゆっくりと歩いて付いて行く。そして少し離れた所に待たせておいた黒塗りのベンツに近寄ると、それに気付いた運転手が後部座席の扉を開ける。来夏はそのまま車に乗らず、少し遅れて来た飛乃を先に乗せた。そのときの仕草はまるで紳士。普段の来夏からは想像出来ない程、紳士的な態度だ。飛乃が車に乗り込み、来夏もその後に続く。そして運転手が扉を閉めて運転席に乗り込む。そしてそれを確認した来夏は口を開いた。
「大滝ホテルだ。」

大滝ホテルに到着すると、入口にはホテルのボーイたちが並び、総支配人の肩書きを持つ男と背広を着た長い金髪の姿がある。それを見ながら、来夏は車に乗り込んだときと同じく飛乃をエスコートしながら、車から下りる。そして飛乃を連れ、予め用意されていた赤絨毯の上を歩く。すると来夏は長い金髪の少年の前に来て立ち止まった。
「お待ちしておりました、花山さま。」
その言葉と同時にその場の者たちが頭を下げる。その言葉に来夏は怪しげな笑みを浮かべた。今日何度目かの怪しげな笑みだ。
「らしくないことするなよ。」
お前はそんなキャラじゃないだろ。
嘲笑うかのように言った言葉に金髪の少年は頭を上げた。
「まぁ、そう言うな。これも仕事なんだよ。」
皮肉を言うような顔に話し方。その対応は〝客〟に対するものではなく、親しみのある友人に話すような口振りで、先程の電話のときと何一つ変わらない。
「では、ごゆっくり。」
その言葉と共に再度会釈をし、来夏の入室を促す。そして来夏はそれに反応し、飛乃を連れてホテルの中へと入って行った。
「社長、今の方はあの部屋の…。」
〝社長〟…。つまり、この大滝ホテルの社長。それは大滝財閥代表総取締役であることを表している。大滝財閥代表総取締役は大滝星流だ。
そう、この長い金髪少年こそ、あの大滝星流である。
総支配人が人に聞かれぬように星流の耳元で小さく話した。だが、星流は周りなど気にせず声を潜めることなく吐き捨てる。
「あぁ、この大滝ホテルの一番良い部屋を常に使える唯一の男だ。」
あの男を敵に回すことなど出来ない。逆に返り討ちになる可能性がある。そんなメリットのない危険な賭けは出来ず、今現在も数々の要望にも答えてきた。だが、油断は出来ない。かなり鋭い男で、少しの変化も見逃さない神経をしている。逆らえば容赦はない。そのことを充分に分かっているため、あえて注意を促す。
「―――あの男には絶対逆らうな。」
逆らえば、例え大滝財閥でも不利な状況になることが星流には分かりきっている。だから手は出すな、と伝えるのだ。それは星流と来夏の今までの付き合いと来夏自身を見ていれば分かる。
だが、総支配人にはそれらを感じ、読み取る力はない。そのため、経営者の責任として星流が注意を促さなければならない。総支配人も、若年の代表総取締役でありながらも星流の実力は認めており、経営者だと思い接している。
そんな総支配人は星流の注意に素直に会釈をしながら返事を返す。
「かしこまりました。」
星流はそのまま身を翻し、長い金髪を振り乱しながらホテルの中へと姿を消した。
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2017/05/24 19:23 | 創作男女 / 赤と黒の蝶

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